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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)15384号 判決

原告

伊藤清里

原告

伊藤せつ子

右訴訟代理人弁護士

清野順一

被告

日産火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

本田精一

右訴訟代理人弁護士

米津稜威雄

田井純

増田修

小澤彰

長嶋憲一

麥田浩一郎

若山正彦

佐貫葉子

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、各五〇〇万円及び右各金員に対する昭和六〇年一二月二八日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日  時 昭和五八年一二月二五日午後九時三〇分ころ

(二) 場  所 滋賀県蒲生郡竜王町小口地先・名神高速道路上り線四四八・二キロポスト付近(以下「本件事故現場」という。)

(三) 事故車両 普通乗用自動車(名古屋五九り五六七九)

右運転者 訴外亡伊藤清志(以下「亡清志」という。)

(四) 事故態様 亡清志は、事故車両を運転して名神高速道路上り車線を進行中、折からの降雪で、同高速道路においてタイヤチェーン装着の規制がなされたため、本件事故現場左側路肩に事故車両を停止させ、タイヤチェーン装着のため同車から降車した直後、同車線を暴走してきた訴外西里芳雄(以下「西里」という。)運転の大型貨物自動車に衝突され、全身打撲により即死した。

(右事故を、以下「本件事故」という。)

2  自動車保険契約

亡清志は、昭和五八年二月二日、被告との間で、登録番号大阪五九ホ二七六九の自動車につき、保険期間を昭和五八年二月四日から昭和五九年二月四日午後四時までとし、搭乗者傷害保険金額一名につき一〇〇〇万円などとする自家用自動車保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、右契約は、昭和五八年八月一九日、当事者合意のうえ被保険車両が事故車両に変更された。

3  被告の保険金支払義務

(一) 本件保険契約の約款である自家用自動車保険契約普通保険約款(以下「本件約款」という。)第四章搭乗者傷害条項第一条第一項には、被告は、被保険自動車の「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被つたときは、搭乗者傷害条項及び一般条項に従い、保険金を支払う旨、また、同第四条には、被保険者が傷害の直接の結果として、傷害の日から一八〇日以内に死亡したときは、被保険者一名ごとの保険証券記載の保険金額の全額(本件においては一〇〇〇万円)を支払う旨、それぞれ規定されている。

(二) 本件事故は、亡清志が、一般に人の乗降車できない高速道路上で、タイヤチェーン装着規制によりタイヤチェーン装着のためやむをえず事故車両を路肩に寄せて停止させ、降車した直後に発生したものであり、事故車両の停車、降車の目的、高速道路の性格、降車と事故との時間的接着等からみて、亡清志は、「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」と同視することができるから、亡清志は、本件保険契約に基づき、被告に対し被保険者として、搭乗者傷害保険金一〇〇〇万円を請求することができる。

(三) 原告らは、亡清志の両親であり、同人を法定相続分に従い各二分の一の割合で相続したから、原告らは、被告に対し、各五〇〇万円の保険金請求権を取得した。

4  結論

よつて、原告らは、被告に対し、保険金として各五〇〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一二月二八日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実中、(一)ないし(三)の事実は認め、(四)のうち、亡清志が事故車両から降車した直後に事故が発生したとの点は否認し、その余は認める。

2  同2(自動車保険契約)の事実は認める。

3  同3(被告の保険金支払義務)のうち、(一)の事実は認め、(二)は争い、(三)のうち、原告らが亡清志の両親として同人を各二分の一の割合で相続したことは認めるが、その余は争う。

4  同4(結論)の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件約款第四章搭乗者傷害条項第一条第一項にいう「正規の乗車用構造装置のある場所」とは、一般に、乗車人員が動揺、衝突などにより転落または転倒することなく、安全な乗車を確保することができるような構造を備えた運転席・助手席・車室内の座席をいい、また、「搭乗中」とは、これらの場所に乗り込むために、手足または腰などをドア・床・ステップ・座席に掛けた時から、降車のため手足または腰などを右用具などから離し、車外に両足をつける時までをいうものである。

ところが、本件では、亡清志は、事故車両を降車して名神高速道路の上り車線の路肩上において、同車の右後輪付近にしやがみ込み、タイヤチェーンを装着していたのであるから、「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当せず、保険金の支払対象にはなりえない。

2  搭乗者傷害保険は、自動車に搭乗中の者が身体に被る傷害につき、自賠責保険及び対人賠償責任保険が機能せず、また、その不足するところを補完するものとして機能しているものである。すなわち、被保険自動車の車外にいる場合における交通事故の大多数は被保険自動車以外の車両によつて惹起されるのが通例であり、その場合には当該加害車両の自賠責保険及び対人賠償責任保険で損害がてん補されるのに対し、被保険自動車の車内に搭乗中の事故には、少なからず単独事故があり、この場合保有者等の家族等が被害者のときは、被保険自動車の対人賠償責任保険は適用されず、他に賠償主体もないため、搭乗者傷害保険によつて家族等の傷害危険を担保する必要があるので、被保険自動車に搭乗中の者を被保険者に限定したものである。

したがつて、搭乗者傷害保険において被保険者を搭乗中の者に限定していることには十分な理由があり、被保険自動車の車外にいる者に対し、なかんずく本件のように他に賠償責任者が存在する場合にまでみだりに搭乗者傷害保険を機能させることは自動車保険の枠組みを逸脱し、搭乗者傷害保険の機能・役割を無視するものであり、到底認められない。

また、本件のような場合を安易に保険金支払の対象とすれば、保険金支払の対象が際限なく拡大し、適正な保険制度の運営が著しく阻害されるものというべきである。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  搭乗者傷害保険における保険事故は、被保険自動車に搭乗中の者が「被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被ること」であるが、本件においては、右保険事故性はすべて満たされているから、亡清志が被保険自動車に「搭乗中の者」にあたるか否かが問題とされているものである。

2  ところで、搭乗者傷害保険において、被保険者を「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に限定したのは、専ら、正規の乗車場所以外の場所に搭乗している場合には危険も大きくかつ保安上の観点からも保険保護の対象となる資格に欠けるという理由によるものであるから、「乗車位置の限定」及び「搭乗中」の解釈、運用にあたつては、右趣旨に沿つて、一般運転者の側からみた合理的な期待も考慮したうえ、保険保護に値する者の救済に欠けることのないように解釈、運用すべきものである。

3  このような観点から本件についてみると、まず、本件事故は、高速道路の路肩上で発生したものであるが、高速道路は、本来自動車の走行のためにのみ利用されるべきもので、路肩であつても故障その他やむをえない場合でない限り駐停車することは通常は考えられないことであり、一般道路における駐停車と同一視することはできないものである。

また、亡清志は、事故車両を運転して名神高速道路を走行中、本件事故現場の直ぐ近くに至つて突然降雪が激しくなつたため、タイヤチェーン装着のやむなきに至つたものであり、本件事故現場の路肩に事故車両を停車させて亡清志がタイヤチェーン装着を行つたのは、事故車両の走行に必要かつやむをえない措置である。

そのうえ、本件事故は、亡清志が事故車両のエンジンをかけたまま降車してタイヤチェーン装着を開始したのち間もなく発生したものである。

したがつて、本件は、一般道路で運転者が自動車を停車させて降車し、所用のため車外に出た際の事故とは全く異質のものであつて、本来駐停車の許されない高速道路上で予期せぬ大降雪のため真にやむをえない措置として、事故車両の運行を継続するための唯一の方法として、降車してタイヤチェーン装着を行つている際の事故であるから、走行中の事故すなわち搭乗中の事故として評価されるべきものである。

そして、このように解しても、客観的・合理的観点からみて走行目的のみに支配された行為中に限つて搭乗者傷害保険を適用することとすれば、保険金の支払対象が際限なく拡大したり適正な保険制度の運営が阻害されることもないのであり、逆に、本件のような場合に、形式的な文理解釈に固執し、被害者救済の門戸を閉ざすことこそ、適正な保険制度の運営を阻害するものというべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(事故の発生)の事実中、(一)ないし(三)の事実及び(四)のうち、亡清志が事故車両を運転して名神高速道路上り車線を進行中、折からの降雪で、同高速道路においてタイヤチェーン装着の規制がなされたため、本件事故現場左側路肩に事故車両を停止させ、タイヤチェーン装着のため同車から降車し、その際、同車線を暴走してきた西里運転の大型貨物自動車に衝突され、全身打撲により即死したことは当事者間に争いがない。

そして、右の争いのない事実に、〈証拠〉によれば、本件事故現場の道路は、上下二車線に分離されており、上り車線の幅員は約一〇・五メートルで、道路左側から幅約二・五メートルの路肩部分、幅約三・六メートルの走行車線、幅約三・六メートルの追越車線、幅約〇・八メートルの路肩部分に区分されていること、本件事故当時、事故現場の左側路肩付近には、事故車両のほか、車両数台がタイヤチェーン装着のため停止していたこと、亡清志は、事故車両のエンジンをかけたまま降車し、事故車両の右後輪の傍ら付近においてタイヤチェーンを装着していた時、西里運転の大型貨物自動車に衝突されたこと、本件事故当時、事故車両の前方に自車を停止させてタイヤチェーンを装着していた村瀬英次は、同人が事故現場に到着した時には、既に事故車両が道路左側の路肩に停車しており、その後、同人が自車の右後輪にタイヤチェーンを巻き終わり、左後輪にタイヤチェーンを巻くため車両荷台後部を回つた時、亡清志が事故車両の右後輪付近にしやがみ込んでタイヤチェーンを装着しているのを目撃しており、次いで、村瀬が自車の左後輪にタイヤチェーンを装着しようとした時、本件事故が発生したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二次に、右事実関係を前提として被告の保険金支払義務の存否について判断する。

1  亡清志が、昭和五八年二月二日、被告との間で、原告ら主張の内容の本件保険契約を締結し、右契約は、昭和五八年八月一九日、当事者合意のうえ被保険車両が事故車両に変更されたこと、本件約款第四章搭乗者傷害条項第一条第一項には、被告は、被保険自動車の「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被つたときは、搭乗者傷害条項及び一般条項に従い、保険金を支払う旨、また、同第四条には、被保険者が傷害の直接の結果として、傷害の日から一八〇日以内に死亡したときは、被保険者一名ごとの保険証券記載の保険金額の全額(本件においては一〇〇〇万円)を支払う旨、それぞれ規定されていることは、当事者間に争いがない。

2 本件においては、亡清志が、本件約款第四章第一条第一項にいわゆる「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当するか否かが争点となつているので、以下この点について判断する。

(一) 右条項にいう「正規の乗車用構造装置のある場所」とは、一般に、乗車人員が動揺・衝突などにより転落または転倒することなく、安全な乗車を確保することができるような構造を備えた運転席・助手席・車室内の座席をいうものと解され、また、「搭乗中」とは、これらの場所に乗り込むために、手足または腰などをドア・床・ステップ・座席に掛けた時から、降車のため手足または腰などを右用具などから離し、車外に両足をつける時までをいうものと解されるから、右のような「乗車用構造装置のある場所」から完全に離れ、全身が車外に出て、全く「乗車」していない状態の者は、「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当しないものと解するのが相当である。

(二) これを本件についてみるに、前記認定のとおり、亡清志は、本件事故当時、名神高速道路の上り車線の路肩上に事故車両を停止させ、降車して同車の右後輪付近においてタイヤチェーンを装着していたのであるから、前示のような「乗車用構造装置のある場所」から完全に離れ、全身が車外に出て、全く「乗車」していない状態にあつたものというほかはなく、したがつて、亡清志は、本件約款第四章第一条第一項にいわゆる「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に該当しないものといわざるをえない。

(三) 原告らは、搭乗者傷害保険において、被保険者を「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」に限定したのは、専ら、正規の乗車場所以外の場所に搭乗している場合には危険も大きくかつ保安上の観点からも保険保護の対象となる資格に欠けるという理由によるものであるから、その解釈、運用にあたつては、右趣旨に沿つて、一般運転者の側からみた合理的な期待も考慮したうえ、保険保護に値する者の救済に欠けることのないように解釈、運用すべきであり、また、本来自動車の走行のためにのみ利用されるべきものであるという高速道路の特殊性、亡清志が本件事故現場の路肩に事故車両を停車させてタイヤチェーン装着を行つたのは、事故車両の走行に必要かつやむをえない措置であり、本件事故は、亡清志が事故車両のエンジンをかけたまま降車してタイヤチェーン装着を開始したのち間もなく発生したものであることなどの点から、本件は、搭乗中の事故として評価されるべきものである旨主張する。

しかしながら、もともと搭乗者傷害保険は、その規定上、被保険者が被保険自動車に「搭乗中」の場合に適用されるものであつて、被保険者が事故車両に乗車している場合を前提とするものと解さざるをえないから、原告ら主張の搭乗者傷害保険における被保険者限定の趣旨、本件事故の状況、特殊性を考慮しても、本件のように、車外において作業中のような場合にまで、その適用を拡張することはできないものといわざるをえない。

したがつて、原告らの右主張は採用することができない。

(四) そうすると、被告は、本件約款第四章第一条第一項の規定に基づく搭乗者傷害保険金を支払う義務を負うものではないということになる。

三以上によれば、原告らの被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小林和明)

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